楽器に関する覚え書き

ナノピアノ――NanoPiano


 既に書いたことだが、以前に電子ピアノを持っていたことがある。その時はまったく、只のピアノの代りであり、要するに普通のアコースティック・ピアノを手に入れた今となってはまったく必要がなくなってしまった。だから知人に上げてしまい、その後買うつもりはなかったのだが――。
 ところがある日、妻とビートルズの「レット・イット・ビー」を合奏していた時のこと。あの間奏部で出てくる印象的なハモンド・オルガンの音がどうしても再生出来ず(もしもどなたか、この音のドローバーのセッティングを御存じなら、教えていただけませんか?)、まあどうにかこうにか近い音にした後で気がついたのだが、その直前の同じフレーズは、明らかに電気ピアノの音ではないか。もちろんあの時代のこと故、恐らくはフェンダーのスーツケース、でなければウーリッツァの電気ピアノだろう。そういえば、あのトーンバーを打った独特の音も、いつかは欲しいと思っていたものだなあ、とこう思ったのがきっかけで、たまたま渋谷に出掛ける用があったため、楽器店に行く事になってしまった。
 実は前に新宿に行った時、コルグSGproXを弾いてみて、「おおっ」と思ったのだ。ただ、これはもちろん完全な鍵盤付きのピアノで、値段も22万円、ちょっといきなり買う気になれない。ハモンド・オルガンのところに書いた通り、現在の自分の部屋には、新しい鍵盤を増やす場所がない。ところが、SGproXにはSG−Rackという同等のモジュールがあるという。本来ならピアノは鍵盤のタッチも重要なのだが、この際そんな贅沢は言ってられん。オルガンと変わらないキータッチでも、とにかく音が出ればいいではないか。鍵盤は後から買うことも出来るのだし。
 まあそんなこんなで、一応これは候補にしておいて、後はこの目的に合う他のモジュールを検討した。でいろいろあって、結局アレシス/ALESIS(私は日本語の中にアルファベットを混ぜる表記が好きでない。「PTA」とかならともかく、これは絶対片仮名で書くぞ)のナノピアノ/NanoPiano(細かいスペックはこちら)を買ったのであった。
 理由はいろいろあるが、要するに音、サイズ、予算の鬩ぎ合いである。まず音。如何にサンプリングが発達しても、フェンダー・スーツケースを完全にシミュレートする音源はない。ただ気に入るかどうかである(と店員さんも言っていた)。そこでカーツェルやコルグの音源も含めて試させてもらった。ナノピアノはそこで弾かせて貰ったもので、4万8千円。他にもいい音源はあることがわかったが、それは7万なんぼもするという。困った。
 ここで一つ。本来ピアノはペダルを踏むと隣の弦との共鳴が起きる。最近の音源には、それらしい効果を入れているものもあるが、電気ピアノは弦を発音体としなかったので、これはあまり関係ないと思う。ただ、ステレオの方がいいんだろうなあ。それから、トレモロ効果がついているかどうかは結構重要である。あくまで、「過去の電気ピアノの再現」にこだわるのなら。
 実はナノピアノの前面パネル(写真参照)には、トレモロのスイッチがない。前述の7万円を越える音源には、それがちゃんとついているのだ。それもまた理由にして、店員は盛んにそちらを薦める。どうすべきか。
 で結局サイズや値段でナノピアノを選んだのだが、電車の中で英語のマニュアルを見ているうちに気がついた。ハッハッハッ。ちゃんとトレモロはあるのである。MIDIからモジュレーション・ホイールの信号を送ればいいのであった。楽器屋の店員さんには、もっと勉強して欲しいものである。

 さて、これでめでたく家に帰って試したのであるが、以下その報告。
 256の音色がROM(これも片仮名にしたいけどなあ)に焼き込んであるというが、音色の数は実は問題ではない。使えない音が100個並んでいる音源よりも、いい音がたった一つあるものの方が価値があるに決まっている(ハモンドXM−1なんか、その好例。これ、あんまり話題になってないけど、私は満足しているぞ)。で、ナノピアノの256種類というのは、実はただオクターヴずらしただけのも数に入れてあって、これは看板に偽りありといいたいが、そんなことはどうでもいい。私はあくまで電気ピアノの音源を買いに行ったのである。で、その音色であるが、これは充分満足の行くものであったと言っておく。
 基本的には、「E.PIANO」というグループの1番(バンク0または1、プログラム・チェンジ65で出る音)の音色だけで思わず微笑んでしまった。考えてもみるがいい。フェンダー・スーツケースは60万円を越えたのだ。それがもっとずっと小さいサイズで(つまり、子供の保育園のコンサートとかで使える)、しかも5万円あまりなら、まずは充分ではないか。
 この「〜」と名付けられた音は、鍵盤の弾き方(ベロシティ)によって音を変える。弱く弾くと比較的澄んだサインカーヴに近い音、強く弾くと多少ディストーションがかかる。昔日の電気ピアノは、フェンダーもウーリッツァーもちょっとしか実物を見ていないのでなんとも言えないのだが、こんな感じではないのかなあ。で、隣にある「〜」という音が弱く弾いた時の音のみ、更に隣の「〜」という音が、強く弾いた時の音のみである。トレモロも掛けてみたが、いい味が出ていた。
 誉めるばかりでは仕方ないので、問題点。個人的な事情にもよるが、実は電気ピアノ系の音以外はあまり印象に残らない。ストリングスやオルガンなどの音も入ってはいるのだが、手持ちのSY77やハモンドXM−1に比べて数段落ちる。さすがにアコースティック・ピアノの音はちょっといいが、これだってやはり完全ではない。ただ、これは自分の手持ちのアンプのせいであって、ステージに持ち込めば、充分使えるのかも知れないが――。
 いつも思うのだが、ピアノの音源モジュールとして売っているものに、中途半端なそれと関係ない音を付けるのは正しいのだろうか。それが値段にどの程度影響するのだろう。例えばこのナノピアノにしても、いくらストリングスの音とかを入れたからといって、GMに対応しているわけでもなし、どういう人がこれを望んでいるのか。もしも本当にオーケストラ系の音色が欲しいなら、「〜ピアノ」という音源は買わずに、もっと万能の音源を入れるだろう。
 個人的な意見としては、「〜ピアノ」という名前の音源に必要な音は、アコースティック・ピアノ、電気ピアノ(のヴィンテージ。つまり、クラヴィネットD−6とかも含む)、ハープシコード、もしかするとチェレスタくらいである。ところが困ったことに、ナノピアノのハープシコードとクラヴィネットは、SY77に劣るのだ。だとすれば、5万円という値段は本来のスーツケースよりは安いとしても、本当に適正な価格なのだろうか? それとも、これらの音をけずっても、それほどコストは下がらないのかも知れない。

 しかしこの辺は好みの問題もあるし、シンセ系の音とピアノの音をまぜたものにはいいものもあるみたいだから、他に音源を持っていない場合はこれでいいのかも知れない。

    追記
       マニュアルの序文によると、この音源の作者はもともと自分がバンドをやっていて、安くてコンパクト、そして音のいいピアノが欲しかったから作ったといっている。こういう風に、「自分が使いたかったものを作る」というのは、例えばコンピューターのフリーソフトなども示している通り、いい製品を作る時の一つの指針である。

宇宙暦30年1月19日)


 なお、YUHさんのホームページの電子ピアノのコーナーに、各社の電子ピアノの比較が載っていますので、こちらもぜひご覧ください。

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