超生命ヴァイトン――Sinister Barrier

エリック・フランク・ラッセル――Eric Frank Russel

矢野徹訳


 ある日を境に、次々と変死を遂げる19人の科学者たち。彼らはすべて、一見自殺をしたかのように見えたのだが、渉外係官グレアムだけはその死に不審を持つ。やがて、科学者の身体から、揃ってメスカリン、メチレン・ブルー、ヨードが発見されるに至り、事件は意外な方向に発展するのだった。

 このようにして始まることからわかる通り、これは「ドノヴァンの脳髄」のところで述べた、推理小説からプロットを借りているSFである。結局はこの一連の事件は、ヴァイトンと呼ばれる不可視生命体の仕業であることがわかるのだが、ここからは本格的なSFになっていく。人類は家畜だったのだ(ネタばらしではない。序文にこう書いてあるのだから)。ヴァイトンは、人間の恐怖心を食う生物だったのである。
 かくして、グレアムたちの絶望的とも思える闘いが開始される。人の脳の中を探ることの出来るヴァイトンは、圧倒的に有利だ。純粋エネルギー体であるヴァイトンを、如何にして殺せるのか。鍵はヴァイトンの奇妙な行動にあるらしい。グレアムは一歩一歩答に近づくが、同時に彼にもまた、危機が迫っていく。

 今となっては、この手の話をまるっきり知らないSFファンはいないだろう。また当時としても、圧倒的に強力な異種生命体による侵略(またはそれに類する行為)の話は、「宇宙戦争」という重要な作品が既に存在しており、その点では目新しくもなかったかも知れない。特徴とてしては、誰もが平和を願っていながら、なぜ人類が戦争をやめられないのかという問題についての一つの解釈(もちろん、空想のものであり本気ではないだろうが)であり、これは「宇宙大作戦」の「惑星アルギリウスの殺人鬼/羊のなかの狼」に出て来たレジャックや「宇宙の怪! 怒りを食う/平和の日」(ひどい邦題である)に出て来た結晶生命体に引き継がれていく。特に後者は、目に見える点を抜かせばほとんどヴァイトンだ。グレアムとカークは、まったく違う答を出すのだが――。
 エイリアンとしてのヴァイトンはどうだろう。この話の優れている点は、ヴァイトンが決して悪意を持って侵略をしているわけではない部分にもある。グレアムは最後に憎しみを持ってヴァイトンを撃ち落とすが、当事者としての気持ちはわかるとしても、別にヴァイトンは「悪いこと」はしていない。ただ自分達が生きるために、地球人の心を食っているだけである。こうしなければ、ヴァイトンは餓えるのだ。これが「悪いこと」だと言うなら、家畜を食べる人間だって同じことになってしまう。
 その点ヴァイトンは、人間そっくりの考え方をして、何かの欲で地球を侵略して来る「宇宙人」とはまったく異なる生物である。だから、この生命体とのコンタクト(話し合い)のようなシーンは一つもない。たまたまこの生物が地球人に害をなすから、渡り合う必要が生じたのだ。そう考えれば、これは立派なソラリスたちの先祖といえる。もしかすると、ヴァイトンは地球人が「生物」であることに、気がついてもいなかったかも知れない。「ウルトラQ」に「バルンガ」という傑作エピソードがあるが、あれなんかもこの種のSFの素晴らしい成果の一つである。

宇宙暦29年6月2日)


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