日本刀に関する想い

短刀の砥ぎに失敗して


 二月に買った短刀「宗光」ですが、その後どうしても錆が取れず、遂に日本刀には禁断の兵器・グラインダーに手を出してしまい、かなり痩せ細ってしまいました。にも拘わらず、まだ錆が取れません。余程深く浸透しているんですねえ。
 それで残念な出来になってしまった短刀はとにかく最後まで完成させ、「教訓としての守り刀」にしようと思っています。ただ、その過程で考えたのは――。

     結局、自分にとって、日本刀とは何だったのか。

 まず武器としての使用は問題外です。重大な犯罪であり、更に剣を習った訳でもないので、居合とかも出来ません。それなら切れる必要は無いのではないか、とも言えそうですが、長い間ナイフを扱ってきた身として、切れ味は確かに重要です。つまり、「刃物」であることは間違い無い。けれどもこれは、料理などに使用することは出来ないのです。
 では、美術品か。これも変です。何より錆だらけで美しくなく、更に博物館で一度綺麗な刀を見てしまうと、これだけ見劣りしてしまう品もありません。ただ、自分で手掛けた成果を眺めて楽しみたいのは事実であり、それでグラインダーに行きついてしまったというのも確かなのです。
 考えてみれば、この短刀は、本ホームページの三つの部屋、銃器室(武器の部屋)展示室(刃物の部屋)工作室(自作物の部屋)の三つからリンクしてあります。つまり私にとってこれは、武器のコレクションであり、刃物の一つであり、更に工作の素材みたいなものでもある。そうしてまとめてみると、次のようになりそうです。

     一刃物愛好家が、自国の歴史の中で重要な役割を果たした武器を手に入れ、それを自分で手入れして楽しむ対象。

 もしもこの刀が、数十万円するような、最初から綺麗に仕上がっている品だった場合、これ程の愛着は湧かなかったでしょう。柄の糸巻き、鞘の絵、そして何より刀身の手直し、全て自分の手でやったからこそ、「自己の成果」として眺めて楽しめます。これはプラモデルと似た感覚かも知れません。最初からきちんと出来上がっていたらこんなことはする必要も無く、むしろ勿体無くていじれないでしょう。そしてまた、だからこそ、最終的な失敗の悔しさもひとしおなのです。
 ただ、刃毀れはどうにか治せたものの、錆がこれ程までに深くまで進行しているとは思いも寄りませんでした。何しろ、削っても削っても無くなりません。これでは、本職の砥師でも完全に無くすのは無理でしょう(もちろん、「美しく見せる」ことは出来たかも知れませんが)。それで、最終的にグラインダー手を出してしまった訳です。その結果の為体ていたらく。本当に泣きたくなりました。
 そこで再び考えます。
「ああ、以前の持ち主がもうちょっとしっかり管理してくれていたらなあ」
 だけど直ぐに気付くのです。
「でも、それではもっと高い品になってしまい、僕には手が出せなくなってしまうよなあ」
と――。
 歴史に「もしも」は禁物と言いますが、この場合は遡って考えていく度、いつも同じ結論に達してしまいます。

     この位の傷のある刀でなければ、恐らく値段的に自分には手が出ない。
     日本刀が実用刃物でない限り、ある程度美しくなければ意味が無い。
     そしてまた、それを自分でどうにかするからこそ価値がある。

 つまり、どんなにネットに「日本刀は自己流で砥ぐな」と警告が在っても、私はそれをやってしまったでしょう。では何処で止めるべきだったのでしょうか。

     錆が目立ち始めたのは磨き棒で艶を出したから。
     だが、博物館の刀を見てしまうと、それは必ず手を出してしまう領域だと思う。
     磨きに因って浮き出た錆についてはいずれ我慢出来なくなり、更にグラインダーは三千円で手に入る。
     結論。現在の結果はどう検証しても、いずれ必然的に辿り着いてしまうところである。

 要するにこれは、「素人が自己流では絶対に出来ないと言われる日本刀の研磨」というたてに、「今まで、ある程度は何でもやってのけて来たという自惚れ屋が挑む」というほこが立ち向かい、見事に玉砕してしまった結果なのです。

 今後私は、日本刀に手を出すでしょうか。それは判りません。ただ言えるのは、少なくともある程度錆が浮いているような安価な刀を手に入れ、それを自分で直そうなどとは思わないだろうことです。柄や鞘は私でも何とかなる。でも、刀身だけはどうしようもありません。
 ああ、もっと力が欲しい。気力と根性と、そして何より才能さえあれば……。
 いつも何かに失敗する度、そう思うのであります。

宇宙暦44年5月1日


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