笛を塗る


 実は私の能管は、買った頃に一度首がもげてしまったことがある。値段から考えてもそんなにいい品ではない筈だが、やはり造りが甘かったのだろう。仕方がなく、自分で繋いだ。
 ところがその後、低音部が鳴らないことに気がついた。能管は内部に漆を塗るのだが、それは当然すべて繋いでから塗るわけなので、外れた部分に隙間が出来てしまったためだろう。現にしばらく吹いて内部に水分が溜まったり、一度水を入れてみるとちゃんと鳴るのである。
 さてどうすべきか。方法は一つしかない。要するに、もう一度漆を掛けるのだ。とはいうものの、プラモデルの塗装じゃあるまいし、そんなに簡単に出来るのだろうか。
 そこで東急ハンズに行ってみたら、カシューという自然乾燥の漆類似塗料がある。当時はインターネットもなくよく知らなかったが、これはカシューナッツを原料とするもので、本物の漆より安く、扱いも容易い。早速朱色のものを買い求め、ガーゼを針金の先に付けて、内部に塗りたくってみた。音は無事に鳴るようになった。
 ところが最近になって、再び鳴りが悪くなっている。どうもガレージキットでいう「引け(乾いていく過程で凹むこと)」が起きてしまったのではないかと思い、また塗りなおしてみた。ところが今度は、どうもよくならない。そこで思い切って、能管を買い換えることにしたのであるが――。

 さて、フルートの本に書いてあったことだが、リードを持たない木管楽器は内部の気柱の振動で音を出すものであり、管そのものは鳴らないらしい。つまり、リードのある楽器ならその素材で音も変わるかも知れないが、フルートなどの横笛は材料ではなく、管の形が音を決めるのである。
 したがって、ヤマハなどの大きな製造元が作った笛の場合、安物も高級品も同じ型を使うから、実は音は同じということになる。これは当然和楽器も同じで、現代のようにコンピューターなどで形を解析出来るようになると、下手な職人が木を削って作った笛よりも、プラスチック製の安い製品の方が音が良い――安定していることになるのだ(ただし、熱の伝わり方や変形、重さによる疲れなどもあるので、完全に無関係というわけではない)。
 もちろん、名うての手足れが精魂込めて削った笛なら、それなりの音も出よう。しかし、専門の演奏家でもなく、ただの素人芸の私には、そんなものにはとても手が出せない。何しろそういった笛は20万円を越えるのだ。仕方なくある程度のもので我慢することになる。いつか富豪にでもなれたら、事情が変わることを夢見ながら――。当然、そんな日の来る気配は全くない。

 とはいうものの、もう一つ、こんな話もある。空手の講習会(何でそんなものに出たのかは聞かないで下さい。実技はほとんど出来ません)で聞いたのだが、「形の目的」についてである。その時の講師の先生によれば、その目的は「見事なる技の創作と保持」、すなわち技とは相手に打撃を与え、その効果を得るものであれば充分な筈だが、それが美しければ「なお良い」。日本刀は切れれば充分であるが、刃紋や柄、鞘などの拵えが美しければなお良いのと同じである(「北斗の拳」の南斗水鳥拳を思い出しませんか)。
 これはもちろん、そのまま楽器にも応用出来る。楽器は音が美しければ充分だが、その外観が美しい方がなお良い。それは舞台で聴衆の前に披露するものだけに、前述の武道より大切かも知れない。この場合、当然ながら「演奏する姿」もそこに含まれるわけだが、それはここでは論じない。とにかく、和楽器は和楽器なりの装飾を必要とするものなのである。

 ということで、能管を新しく買ったのだから、逆に古い方は、もう無い物と思って勝手なことが出来る。そこで改めて黒のカシューを買って来て(というか、これは元々はチェスの駒の剥げたところを塗るつもりもあったのだ)、全部を改装してみることにした。うまくすれば、自分の手で塗った笛という、なかなか愛着の湧きそうなものが出来そうだ。
 ところがやってみると、これがなかなか難しいんですね。とりあえず内部の朱を全て重ね塗りして吹いてみると、音は復活しているみたいだ(ただし、喉が少し低くなってしまったかも知れない)けど、外を多少汚してしまったので黒で総塗り替えをしたら、今度は新しい能管に比べて艶がありすぎる。藤(私の買える値段では、桜の皮はあるまい)を巻いた部分は、艶がないのが正しいらしい。
 そこでネットで調べてみると、カシューには艶消し黒がちゃんとあるという。近所の店には売ってなかったので、楽天で通販である。届いたものはなかなか蓋が開かないので変に思ったら、余り売れない品なのか中がだいぶ濃くなっていた。もっともこれは店が悪いのではあるまい。まさか出荷する前に、開けて確かめるわけにも行かないのだから。これは返品交換も受け付けてくれるだろうが、薄め液はちゃんと持っていたので、自分で希釈した。私の専門は化学である。

 こうして藤巻のところに艶消しを掛けたら、なるほどそれらしくはなった。ただ、指の穴の部分の朱を上手く入れるには、多少時間が掛かりそうである。樽のような形に、穴を飾らなくてはならないからだ。いずれは完成するだろうが、もちろん素人の作業だけに、そんなに期待はしていない。これを書いている最中、能管はまだ作業中である。

 さて、そこで改めて考える。篠笛にもいろいろな値段があるが、黒塗りは高い。よし、自分で塗ってやろう。素人は怖いものを知らない。早速、作業開始となる。
 これにはもう一つ、理由がある。総塗りの篠笛はいつの間に買ったのか一本持っていたのが、地肌が全く見えないために、果たして何で出来ているのか知りたくなってしまったのだ。前述のように、木管は材料で音は変わらないし、そもそも総塗りである限り中身が何であろうと問題は何もないのだが、やはり趣味とはそう簡単ではない。もしも中身が樹脂だったらどうしよう。
 そこで一部にやすりを掛けてみたら、有難いことにはちゃんと竹の表面が出て来た。逆にいえば、せっかく出来上がっているものをむざむざと自分で傷をつけたわけで、莫迦な話この上ない。当然、これも塗り直しになる。

 一応コツというか、当たり前の注意を書いておくと、要するに「一度に厚塗りするな」、これに尽きるようだ。一辺に多く塗りすぎるとどうしても垂れて来るので、結局は修正が必要になり、二度手間なのである。一度目は地肌が見えるくらいに薄くかけても、この方が乾きも速いし、意外に二度目で綺麗になり、最終的には手間もかからないのだ。

 などということをやっているうちに、何だか作業そのものに凝り出してしまい、今度は法螺貝の口の部分に艶消しを塗って自分の銘(「真夫」の「真」を一文字書く。筆で字を書いたことはほとんどなく、完全な金釘流なので、まずは臨書である)を入れたくなってくる。もちろんこれはすべての笛にやらねばならぬ。そうだ、味噌汁の椀が剥げていたから、あれも塗りたい。ついでに木箸を塗り箸にしてみようか(実は手に入れたカシューは、「食器には使うな」とあったのだが、笛だって口をつけるわけだし、直接食べるわけではないから大丈夫だろう、などと勝手に思ってしまった。もちろん、これを読んで真似をされても、責任は取れません)。
 正確にはこの順番ではないが、まあ要するに、一つの作業が次を呼んでしまっている。プラモデルの改装をする時にもよくあることで、我ながら呆れ果てるばかりである。

 結局現在の我が家は、常に漆と溶剤のにおいがしている。カシューは塗り立てはペンキのようなにおいがし、そのうち漆器のにおいに変わっていくのだ。
 この作業はあとしばらく続きそうである。その間、家族には迷惑を掛けなくてはならない。それにしても、これで決して音が良くなるわけではないのは仕方ないとして、外観も本職にはとてもかなわないわけだから、当然「見事なる」にはまったく程遠く、完全な作業そのものに対する自己満足の世界だ。いずれはもっと上手く塗れるようになる日が来るのだろうか。その頃までには、また別のことに興味が移っていそうである。

宇宙暦41年2月4日


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