楽器に関する覚え書き

尺八――shakuhachi


 最近、尺八に凝っている。別の所にも書いたように、結構難しい楽器だったので放っておいたのが、自分で色を塗ってみたら何だか愛着が湧いてしまったのだ。それで努力してみたら、少し吹けるようになった。

 写真でご覧になれば判るように、伝統的な竹製の楽器とは違う形をしている。普通は先端が喇叭型に広がっている物なのが、全体に寸胴で真っ直ぐなのだ。これは浅草の大道商人から2500円くらいで買ったもので、どうみても水道管に使うビニールパイプを削って自作したような、樹脂製の品なのである。安い筈だ。
 しかし、音はちゃんと出る。木管は管そのものが振動するのではなく、内部の気柱が音を出すので、まず重要なのは材質ではなく形。樹脂製は加工がし易い分、むしろ製品が安定するのだろう。剥き出しの竹製に比べて割れたりしないのも良い。
 とはいうものの、この手の趣味にはどうしても高級品志向とかブランド志向が伴うのも事実である。リコーダーにせよ能管にせよオカリナにせよ最終的に樹脂性は使っていないし、フルートも洋白製から銀製に買い換えてしまった(もっともこの場合は、フレンチモデルにしたかった為もあるが)。やはりどうしても、「プラスチック」という現代の材料には伝統的な楽器だと安物感が付きまとってしまうのだ。その証拠に、明らかに現代の楽器であるシンセサイザーエレクトーンなどは、プラスチックが入っていても全然気にならない。勝手なものだと、自分でも思う。
 ということで、伝統楽器では唯一の樹脂製である。始めに買ったときには右の写真のように一応は竹みたいな色で、しかし妙に安っぽく塗ってあり、これがついつい真面目に練習する気を削いでしまっていた。上手くなったら木製や竹製に買い換えようと思っても、元々が難しい楽器だけに好い加減な気持ちではそうそう上達する筈もなく、それで放っぽらかしだったのである。
 現在は塗り替えて、左のようになった。高級感というよりは、やはり「自分で絵を描いた」という満足感がある。たとえ下手だろうとも、自作だと特別の一品になるわけだ。そういうものなのだろう。それで少し練習している。

 ご存知のように、尺八は無簧の木管なので、ただ吹いても音は出ない。その上に、穴の数が前面に四つ、裏面に一つの五孔で、裏の一つはあくまで補助であるから、実質的には四孔である。すなわち、一オクターヴを演奏するための六孔に二つ足りないのだ。このため、ホ音とロ音(ややこしいのだが、これは一応西洋の音階のための和名)は技巧音、すなわちかざし指を用いた音となり、他の楽器ならシャープやフラットがついたものと同じ扱いになる。したがって、陽旋法は特に問題なく吹けるのだが、陰旋法には技巧が必要となり、これがますます演奏を難しくしているのである。
 この問題には、当然先人は気がついていた。そのため、穴を増やしたりする研究は早くから行われていたらしいが、何故かそれ程定着していない。他の楽器が「その所属している地方、集団の音楽」を演奏する為に改良されてきたのに比べて、えらい違いである。これに相当するのは篠笛の音律だろうか。あれもまた、穴を単に均等に開けてしまったために十二律を正しく出せず、三味線と合わせることすら長い間出来なかった。この問題に対する研究が始まったのは、ようやく近代になってからだ。元禄時代、日本でも既に平均律の算出が研究されていたのにどうしてこの分野が遅れたのかは理解に苦しむ。まあ、何かの理由があったのだろう。
 ということで、その「合わない篠笛」が現在でも売られているのと同じなのかどうか判らないが、市販の尺八はほとんど五孔のままである。ただこれについては、もっと宗教的な理由などが考えられるのかも知れないし、実は前述のホ音とロ音については、これをかざし指で出すことによって微妙な音程のずれとポルタメントを生じ、それが陰旋法の演奏の時に味わいとなるのも事実なのだ。陽旋法はそのまま、陰旋法は技巧というところにも、何か理由があるのではと感じさせる。

 とまあ、ここまでが普通の話。実はこれに凝っているのは、もう一つ重要な、しかしつまらない理由があるのである。
 我が家の居間には大きなマッサージチェアがある。いつもここに座ってテレビなど見たりするのだが、そのままの姿勢で演奏しようとすると、横笛系の楽器では肘が張るので、やりにくいのだ。つまり、肘を縮めたまま構えられる法螺貝と尺八が一番演奏し易いわけで、それもまたはまっている理由である。実際こういったものは、実に下らないことが原因で気に入ることもあるのだなあ、などと思う今日この頃なのであった。

宇宙暦41年2月19日


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